考古学

2010年10月20日

お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているのか?人類が三万年前から数えきれないほどパンを食べていた可能性 このエントリーをTwitterでつぶやく このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをライブドアクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに登録 このエントリーをDeliciousに追加

1 :一般人φ ★:2010/10/19(火) 21:08:03 ID:???
 [ロンドン 18日 ロイター] 3万年前の粉をつくる石器に残されていたでんぷんの粒から、
当時の人類が初期の平らなパンを食べていた可能性のあることが分かった。イタリアの研究チームが18日に発表した。
 米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載されたItalian Institute of Prehistory and Early Historyの研究によると、
旧石器時代にヨーロッパにいた人類が、じゃがいもに似た植物の根をすりつぶして粉にし、パン生地を作っていたと考えられるという。

 根をすりつぶすための石器は大人の手になじむサイズで、イタリアやロシア、チェコの遺跡から見つかっていた。

 研究に参加したラウラ・ロンゴ氏は、このパンが「水と粉で作ったパンケーキのようなものだ」と説明。
研究チームは、熱い石の上で焼く調理プロセスを再現してみたが、でき上がったものはクラッカーのような食感で、あまりおいしくはなかったという。

 これまでの研究では、イスラエルの約2万年前の遺跡で小麦をすりつぶした石器が見つかっており、パン作りの最古の証拠だとされていた。

2010年 10月 19日 12:32 JST

▽記事引用元 ロイター
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-17726720101019?rpc=122

▽米科学アカデミー紀要掲載記事
http://www.pnas.org/content/early/2010/10/08/1006993107.abstract


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2010年10月04日

室町時代の「お寿司」が日本で初めて出土するが、残念ながら賞味期限が切れていた模様 このエントリーをTwitterでつぶやく このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをライブドアクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに登録 このエントリーをDeliciousに追加

1 :一般人φ ★:2010/10/02(土) 20:51:19 ID:???
【鳥取】室町時代の僧侶の暮らしが徐々に判明してきた大山寺(大山町大山)の僧坊跡発掘調査で、
炭化米の塊が多数見つかり、研究者の関心を集めている。
分析を依頼された国立歴史民俗博物館の住田雅和研究員(植物考古学)は「押しずしの可能性が高い」と指摘。
確認されれば国内初のすしの遺物で、食文化史上の貴重な史料となる。【小松原弘人】

 大山町教委によると、炭化米の塊は最大のもので長さ約7センチ。十数個が見つかった。
建物跡のほぼ中央部分の土中で多くみつかり、当初は「おにぎり」という見方もあった。

 住田研究員は「すき間なく固まった塊で、強い力で押しつけたと見るのが合理的。
軟らかいおにぎりではない」と説明。表面に植物繊維跡も見つかり、何かで包んでいたらしい。
住田研究員は「中世の押しずしは贈答品にも使われた。魚などの具材があれば庶民でも作れた」と話している。

 町教委の辻信広主幹によると、長さ約5センチの直方体に近い塊も1個発掘。箱状のものの中で押したため角ばった可能性がある。
押しずしなら「ハレの食べ物として調理され、祭礼で供えられたのではないか」と見ている。炭化したのは火災のためらしい。

 僧坊は室町時代(1392~1573年)のもの。押しずしは平安時代の文献に記述があるが、
遺物として残らないため研究は進んでいない。炭化したおにぎりは新潟県で確認された例がある。

毎日新聞(2010年10月2日)

▽記事引用元 毎日JP
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101002mog00m040020000c.html

▽写真 国内初のすしの遺物と見られている炭化米の塊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/images/20101002mog00m040009000p_size5.jpg
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2010年09月15日

斉明天皇の墓、ほぼ確実 牽牛子塚古墳は八角形墳 奈良 このエントリーをTwitterでつぶやく このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをライブドアクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに登録 このエントリーをDeliciousに追加

1 :TOY_BOx@みそしるφ ★:2010/09/11(土) 00:11:49 ID:???
大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母、
斉明(さいめい)天皇(594~661)の墓との説がある奈良県明日香村の
牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の
八角形墳であることが確認された。明日香村教育委員会が9日、発表した。

墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で
囲われた例のない構造だったことも判明。斉明天皇は巨石による
土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ確実になった。

明日香村教委は、飛鳥地方の古墳群と藤原宮跡の世界遺産登録に向け、
牽牛子塚古墳を昨年9月から調査。墳丘(高さ約4.5メートル)のすそは
上からみると八角形状に削られており、北西のすそから3辺分の石敷き
(長さ約14メートル)が見つかった。
縦40~60センチ、横30~40センチの凝灰岩の切り石が石畳のように3列
(幅約1メートル)にすき間なく並べられており、八角形になるように途中で
約135度の角度で折れ曲がっていた。

墳丘は対辺の長さが約22メートルで3段構成だったと推定され、石敷きの
外側に敷かれた砂利部分を含めると約32メートルに及ぶという。
三角柱状に削った白い切り石やその破片が数百個以上出土し、村教委は、
これらの石約7200個をピラミッド状に積み上げて斜面を飾っていたとみている。

また、墳丘内の石室(幅5メートル、奥行き3.5メートル、高さ2.5メートル)の
側面が柱状の巨大な16の安山岩の切り石(高さ約2.8メートル、幅1.2メートル、
厚さ70センチ)で囲まれていたことも確認された。

過去の調査では、石室が二つの空間に仕切られていたことが判明している。
斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬したと記された日本書紀の
記述と合致するほか、漆と布を交互に塗り固めて作る最高級の棺「夾紵棺(きょうちょかん)」の
破片や間人皇女と同年代の女性とみられる歯などが出土していた。

これまでの発掘成果と合わせ、「一般の豪族を超越した、天皇家の
権威を確立するという意思を感じる。斉明天皇陵と考えるほかない」
(白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長)など、専門家らの意見はほぼ一致している。

一方、宮内庁は同古墳の西に約2.5キロ離れた円墳の車木(くるまぎ)ケンノウ古墳
(奈良県高取町、直径約45メートル)を、文献や伝承などから斉明天皇陵に指定。
「墓誌など明らかな証拠が出ない限り、指定は変えない」(福尾正彦・陵墓調査官)としている。

※記者注:ソース先に問い合わせ先への電話番号表記

画像 
墳丘の周囲に敷かれた切り石の並んだ形状から、八角形墳とわかった牽牛子塚古墳
 http://www.asahicom.jp/culture/update/0909/images/OSK201009090093.jpg OSK201009090093


牽牛子塚(けんごしづか)古墳の位置
 http://www.asahi.com/culture/update/0909/images/OSK201009090096.jpg OSK201009090096

牽牛子塚(けんごしづか)古墳の復元想像図
 http://www.asahi.com/culture/update/0909/images/OSK201009090095.jpg OSK201009090095


▽記事引用元 : asahi.com 2010年9月9日22時43分
 http://www.asahi.com/culture/update/0909/OSK201009090092.html

関連 奈良県明日香村牽牛子塚古墳発掘調査の現地見学会について(牽牛子塚古墳紹介のPDFあり)
  http://www.asukamura.jp/hakkutsujoho/hakutsjoho_index.html

*依頼ありました。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1279204460/332-333

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2010年09月02日

初期人類は日常的に人肉を食べていた? 遺体の調理が慣習化 スペイン このエントリーをTwitterでつぶやく このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをライブドアクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに登録 このエントリーをDeliciousに追加

1 :星降るφ ★:2010/09/02(木) 15:20:26 ID:???
初期人類は日常的に人肉を食べていた?
James Owen
for National Geographic News
September 1, 2010

 洞穴で暮らすヨーロッパの初期人類にとって、人肉は儀式のごちそうでも餓死を
避ける最後の手段でもなかったようだ。スペインで発掘された骨の化石から、日常的な
食人の可能性が明らかになった。しかも、化石が発掘された一帯では、すべての初期
人類が人肉を食べていた可能性がある。食人風習の最も古い例だという。

 80万年前に解体された人間の骨が見つかったのはスペイン北部、アタプエルカの
グラン・ドリーナ洞穴。骨に残る跡から、西ヨーロッパ最古の人類とされるホモ・
アンテセッサー種(Homo antecessor)は食人が一般的だったとわかった。

 発表によると、1994年に発見されたホモ・アンテセッサー種は、遺体の調理が
一般的で慣習化していたらしい。必要な栄養を摂取し、しかも敵を根絶やしにできる
一石二鳥を狙ったようだ。

 発掘された骨には、切削痕や打撃の跡がはっきり残っていた。“調理”用の石器に
よるものと思われる。

 研究に参加したホセ・マリア・ベルムデス・デ・カストロ氏によると、バイソンや
シカ、野生のヒツジなどと一緒に少なくとも11人の骨が見つかり、すべて食用に解体
された痕跡があったという。肉を切り取ったり、骨を砕いて髄を取り出したり、脳を
食べた痕跡もある。

 スペイン、ブルゴスの国立人類進化研究センター(National Research Centre
on Human Evolution)に所属するベルムデス・デ・カストロ氏は、頭蓋の側下部に
ある側頭骨に切断や打撃の跡があり、首が切り落とされたことがわかると説明する。
「おそらく頭部を切り落として、脳を取り出したのだろう。脳組織は食用に適して
いる」と同氏は言い添えている。

 人骨が動物の骨と一緒に捨てられていたことから、食人には信仰と関わる儀式的
な役割はなかったとベルムデス・デ・カストロ氏らは推測している。

 また、食糧が手に入らない非常時だけ人肉を食べていたわけでもなさそうだ。
研究論文によると、食用となった人間の骨は約10万年にわたる地層から発掘されて
おり、長年の食人風習だったことがうかがえるという。

 さらに、一帯では食べ物に困る状況はほとんどなかったはずだ。洞穴がある
シエラ・デ・アタプエルカという地域は、初期人類には最高の居住地だと
ベルムデス・デ・カストロ氏は話す。食べ物や水に恵まれ、気候も穏やかだった
という。

▽記事の引用元 ナショナルジオグラフィック・ニュース
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100901001&expand#title

▽画像  スペイン北部で見つかった80万年前に解体された人間の骨
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/images/thumbs/eudald-carbonell-cannibalism-bones_24835_170.jpg
eudald-carbonell-cannibalism-bones_24835_170

Photograph courtesy Current Anthropology

>>2以降に続く)

2 :星降るφ ★:2010/09/02(木) 15:21:19 ID:???
>>1の続き)

 シエラ・デ・アタプエルカに魅せられた初期人類は、この豊かな土地をめぐって
争ったのだろう。「敵を食べてしまえば、手っ取り早く争いが決着する」と
ベルムデス・デ・カストロ氏は説明する。

 しかも、まともに戦った結果ではないらしい。肉を食べられた11人はすべて
子供か10代の若者だった。身を守る能力が不十分な若者を狙えば、「捕まえる側は
危険が小さく、敵を支配する戦略としても効果的」だという。

 ロンドン自然史博物館で人類の起源を研究した経歴を持つ人類学者ピーター・
アンドリュース氏は、今回の研究結果を条件付きで支持している。

 アンドリュース氏は電子メールで次のようなコメントを寄せた。「人類の大部分の
進化過程で、食人は一般的だったようだ。人類の祖先の発掘研究が始まったばかりの
頃は、食人の証拠を見落としていた可能性もある。現時点で見つかっている証拠が
示唆する以上に食人は広まっていたのかもしれない」。

 ただし、「食人が習慣化していたのか、または食糧不足の非常時に限られて
いたかはまだ明らかになっていない。断定できるほど厳密な時期がわかる発掘
現場は少ないためだ」。どちらか判明するには、「月単位の厳密さが必要だ」と
アンドリュース氏は指摘する。

 この研究結果は、「Current Anthropology」誌8月号で発表された。

(引用ここまで)


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2010年07月07日

考古学をガンダム風に語れ このエントリーをTwitterでつぶやく このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをライブドアクリップに追加 このエントリーをYahoo!ブックマークに登録 このエントリーをDeliciousに追加

1 名前:出土地不明[] 投稿日:03/12/29(月) 10:46 ID:y/abebaR
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