2010年07月26日
意外と歴史の浅いもの@世界史板② >
教育の場に広まるようになったのは、1980年代後半以降。
それまでのいわゆる「平和教育」は主に空襲や原爆といった、日本が連合国から受けた被害を題材にしてた。
正確には1982年教科書検定の歴史教科書問題からだな。
「侵略→進出」で揉めてたが、それまでの教科書は「進出」表記だったのは、
この年にいきなり教科書各社横並びで「侵略」書き出して、
文部省(当時)が指摘したのが最初。
前年の中共の中全会で、某垢ピー始めマスゴミ全部が持ち上げ捲くっていた文化大革命が完全否定されてる。
それが原因かも。
その「反日自虐史観教育」を受けさせられた1970年代生まれ以降の世代が、
そもまま左右赤白チョソ反日連合を嫌がる嫌韓世代になった。
現存する最古のNFLチームはアリゾナ・カージナルスの1898年。
1898年時点で、野球MLBのナリーグ拡張前の8チームは既に存在していたし
アイスホッケーNFLもカナダ陸軍チームとかオタワセネタースとかで既に存在していた。
バスケNBAは1947年から。発明は1891年、バレーボールは1895年。
一般に開放されたのは1993年から。
この辺の事情はゴルゴ13「最終暗号」で戯化されている。
ネット解放で米NSAが盗聴し捲くったのは本当
いわゆる「最終暗号」を日本人が作ったのも本当
米NSAが妨害に走ったのも本当
最終的にネットにばら撒いたのも本当
つか、漫画掲載の半年ほど前にNHKスペシャルでやってた。
最終暗号でググったらゴルゴばかり出てくるんだけど
それ意外と歴史が浅いじゃなくて意外と歴史が古いものだろw
>それ意外と歴史が浅いじゃなくて意外と歴史が古いものだろw
日本における通信端末の使用自由化が1985年だから、
それと比べても滅茶苦茶新しい。
キャプテンシステムとかいってたなw
インターネットの匿名性。
1998年頃から。
もう少し具体的に書いてくれ
実名の公表をともなわない、匿名での投稿や文書が多くなってきた、ということ?
他のノードを介するなどして、情報の発信元を秘匿するような技術・手法が広まってきた、ということ?
情報を暗号化して送受信する技術が実用的なレベルにまで発達してきた、ということ?
現在、我々のネット操作その他は全部プロバイダには筒抜けなんだから、
ようするに、プロバイダが他に利用者本人の操作を秘匿すべき情報として
そうそう公開しなくなったってことじゃないのか?
202 :世界@名無史さん:2008/11/27(木) 04:43:36 0
世界初の商用ISPのサービスが開始されたのは1987年
>>199は、パソ通=ネットと思ってる人が結構いるんで
90年代半ば以前のパソ通は、インターネットではないって事を言いたいんじゃないのか。
前に「意外と歴史の古いもの」でインターネットの研究は、
無手順のパソ通が普及するより、ずっと前から行われていた事を知って結構驚いた。
いつからかは知らない。
司教さんの服って赤だよね
いつからはか知らないけど
210 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 12:08:26 0
日本のスイーツ用語としては、
1997年2月19日発売のミリオンセラー「CAN YOU CELEBRATE?」から。
同年中に女性雑誌がああいうのをセレブと持ち上げるようになった。
バブル中かと思った随分新しいな。
CELEBRATEと言うのは、普通男性にしか使わないんだけど。
嘘コケ。バブルの前からあっただろw
211 :世界@名無史さん:2008/11/30(日) 12:15:08 0
確立したのは日本でいうと江戸時代初期ぐらいらしい
「あり得る」を「ありえる」と言うようになったのもここ20年ほどの現象
時刻表
昭和17年1月号から
それまでは「時間表」だった。
1873年、つまり日本の翌年に開業。
隣国のアメリカはメキシコ鉄度開業4年前の1869年に大陸横断鉄道が出来てた。
1944年から。
1944年までデンマーク領だったので、デンマーク人が作ったハンドボールが異常に強く、
08年五輪でもフランスに次ぐ銀メダル。
その辺の顛末は、週刊新潮2008年12月04日号の高山正之・変見自在/もとの鞘に取り上げられている。
元は日露戦争の戦費調達のため。
「戦地の兵隊さんに年賀状を送ろう」
1975年ごろから。
1974年ごろから香港で地下鉄工事が始まっった頃(79年開業)。
地下水脈とか地脈とか竜脈とか出てくるのは、地下鉄工事がきっかけだったため。
1969年開業の北京地下鉄のときは、文革中ということもあって、
そういうのは一切出てこなかった。
GHQはベルリンにもあって、1990年12月31日のドイツ統一まで続いた。
冷戦時代の東西ドイツ協議はそのGHQでやってた。
日本にあったGHQは1952年4月28日消滅。
日本では明治以降。
江戸以前は「間引き」が出来たから子供の数のコントロールは結構やりやすかった。
だから裕福な家の方が子供の数は多かった。
「間引き」
鎖国以降。
それまでは、良く言えば海外雄飛、正確にはカラユキさんとかで、
余った人口を日本国外に出す事が出来た。
遣唐使廃止とか勘合貿易廃止とかは、
別に日本人の海外渡航を禁止する物では無かった。
江戸幕府の鎖国は、既存の海外日本人の帰国をも禁止する物だった。
1947年ごろから
日本語として確定したのは戦後
元々、縦書きの日本語は、改行で区切れば良かったため、句読点が無かった
明治維新で欧米の文章が入ってきて、「,」「.」の便利さに気づいた
が、筆で「,」「.」を書き分けるのは大変なので、便宜的に「、」「○」を使った
…しかし、書式が決定してなかったので、みんな結構適当に使ってたらしく
芥川龍之介は「僕らは、句読点の使い方も確定していない文学の暗黒時代に生まれて来た」と書き残している
今の書式は文部省のもので、戦後小学校でテキストが不足した際、教員の身近にあった「お上の書式」、文部省の文章がお手本になったからと言われている
縦書き横書きは無関係。
江戸以前は、連綿体の筆の切れ目が事実上の句読点・文節切れの役割を果たしていた。
ただ、古代以来の伝統で専ら音読する場合、
「切れ目」というものはそもそもあまり大きな問題とされない傾向がある。
音読時代のラテン語だって分かち書きも句読点も無く全部数珠繋ぎに書かれていた。
世界的な近代文化の一つとして黙読するようになると、
俄然「切れ目の問題」がクローズアップされる。
さらに、近代において終止形で短く区切る文が素晴らしいという、
これも近代固有の修辞法の法則が入ると、句点やピリオドが重要となる。
日本語の場合、膠着語文法における漢字かな混じり文の「漢字の手前」が
実質的な分かち書きの切れ目の役割を果たすようになり、
不足する分が読点で補われた。読点はコンマより頻繁に打たれる。
ということで、
「文章を黙読すること」
「欧米などにおける分かち書き」
「日本語における、自立語と付属語に分けて書く漢字かな混じり文」
「終止形(印欧語なら定型動詞)で短く終わる文が良いとされること」
が>>1に当てはまるとも言える。
音読や読み聞かせの歴史は無視出来ませんが、看経という言葉があります。
これは経典の音読と黙読を共に表すのでややこしいのですが、主に禅宗で
経典を黙読することを指しました。
従って、黙読自体は少なくとも平安時代末期にはあったと言えます。
俗書の黙読と見られる記述も、どこかで読んだ憶えがありますね。
仏教経典は、そもそも日本語として扱うこと事態に慎重になる必要がある
極めて特殊なものであることは、ご存知だと思うけど。
「かんじーざいぼーさつぎょーじんはんにゃーはーらーみーたー」は、
もちろん訛りまくっているが日本語ではない。
クヘド エン デュン
パトゥホン オニポタンタン
クヘアトホン セリ ウ テヘ
と読んでもフランス語ではないし、
クリードウ イン デューム
ペイトラム アンナイポテンタム
クリーエイタラム スィーライ イート テュゥリー
と読んでも英語ではない。
音読黙読以前に、日本語じゃないからなあ>読経
菩薩と言うのは外来語という種類の日本語ではないのか?
>そもそも日本語として扱うこと事態に慎重になる必要がある極めて特殊なもの
この辺りの表現はよく分かりませんが、しかし、読経である看経(黙読)を
例として挙げたことは、あまり意味がありませんでしたね。
ただ、意味をとって漢文として読む場合でも大きく声を挙げたかというと、
やはり疑問があります。
詩や歌を製作後に読み上げることや、学問機関や塾で漢文を読み上げるとい
うことは、近代まで続いています。いや、前者は現代でも続いている。
しかし、前者は一同に内容を聞いてもらうために読み上げられたものであり、
後者は正しい読み方を学習してもらうために読み上げられたものでしょう。
漢文は、平安時代から流派ごとに読み下し方に違いが生じており、現代でも
関東の研究者と関西の研究者とでは、違いが見られますからね。
(関西の研究者が東京の学界に行って、「おかしい」と言われた逸話あり)
しかし、一人で書籍や手紙を読む場合にまで、音読が行われたかというと、
疑問がありますね。
『源氏』の箒木で、源氏が一人で徒然の慰めに「書」を「見たまふ」とか、
自分のところに来ていた「文」を出していたのを、中将が「片はしづづ見る」
とかあるのは、黙読していたように読めますが。
また、夕霧には雲井雁が「文」を奪い取る有名な場面がありますが、これは
夕霧が「見」ようとしていた文を、女からのものだと誤解して奪い取ったと
いうもので、音読するようならそもそも誤解は生じないでしょう。
私信や一人で読んでいるもの、即ち当人だけが理解すればいいものまで、い
ちいち音読していたとは、考えなくてもよいように思われます。
ル程ニ」とあるのも、巻28-27で「文ヲ取テ引披テ打見テ、算取出シテ
糸輒ク打置テ」とあるのも、必要な文書を黙読した後、現場指揮や会計を行
ったという意味でしょう。
巻24-31には、伊勢の文を「御覧」じた天皇が、書跡と歌の見事なこと
に感心なさって「此レ見ヨ」と廷臣にお示しになったところ、皆歌に感心し
て共に「可咲キ音共ヲ以テ詠」じた、とあります。
歌の内容は、文が回ってくるまで、分からなかったと考えられます。
中世文学『ねざめの記』に、稚児が一人で『源氏』を「見」ているのを別の
稚児が見かけて「何を見ているのか」と問うたという一節があり、その後に
聞いた稚児が読み方とその意味を習うという展開になりますが、これなどは
個人で読んでいる時は黙読、習う時は音読にしたという意味でしょう。
『仮名手本忠臣蔵』に、大石が密書を読んでいる時、上からお軽が、下から
斧九太夫が盗み見ているという、有名な場面がありますね。
あれなど、読むことは音読が当たり前なら、成立しないでしょう。
238 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/01/23(金) 22:20:34 0
定着したのは明治時代になってから。
244 :世界@名無史さん:2009/01/24(土) 18:57:48 0
それまでは戦乱や病死や飢饉などで子供は死にやすく、
裕福、貧乏問わず子沢山の大家族、たくさん子供を生むのが普通だった。
戦乱に伴う虐殺等はあっても計画的で近代的な人口抑制政策、
核家族が普通になるのは近代になってから。
わかります
1990年12月31日から。前日は冬コミケ。
18禁エロゲ。1992年から。
登場人物が全員18歳以上の成人向け商品。
1999年11月から。
その手の作品はそれ以前から当然あった。
1985年7月の鈴鹿8耐の昭栄化工のビキニギャルが最初。
1989年のハイレグブームが来るまで生足だった。
いわゆるサーキットクイーンは戦前からあったけど。
もはやその地を代表する料理に欠かせない食材にも関わらず、
実際使われるようになったのは19世紀に入ってから。
当時の五輪は赤字だから、IOCの方が開催地になってくれる様に頭を下げてた。
1988年は前もってアジア開催とIOCが言ってたので、
名古屋だけが「東京はもうやったし、大阪は万博やったし、
当時のアジアでは他にに開催できそうな都市は無いので、
しょうがないから開催してあげる」って感じで立候補していた。
締め切り当日に…orz
ちなみに2002年サッカーW杯も2018&22年サッカーW杯も、立候補は締め切り当日。
1964年日本公開の映画OO7第1作から。
それまでの日本では、「探偵(又は軍事探偵)」がスパイを意味した。
昭和30年代の「まぼろし探偵」や鉄人28号の少年探偵金田正太郎は、
こっちの意味で使っている。
1990年12月31日。
ベルリンにあったGHQは、東西冷戦の中で、東西両陣営間の交渉や会議の場として、
重要な存在だった。
ドイツ統一とともに消滅。
日本にあったGHQは1952年4月28日消滅。
牛肉や豚肉が口に入るようになったのは、
13世紀になってから。
それまでは鶏肉だけ。
1970年10月の「国鉄・ディスカバリージャパン」キャンペーンから。
その小京都の代表とされた岐阜県高山市は、
年間観光客数が69年の約20万人から、71年には100万人を超え、
去年は約500万人。
同じ麗で萩・津和野、角館、土佐中村、川越などが一躍有名観光地に。
1624年から。
つまり、島津が琉球侵攻した1609年より後。
1980年に発売
明治時代に創設された新興宗教である国家神道のなれのはて
天皇=現人神思想(神は唯一神扱い)が、明治期以降の思想面での対ヨーロッパ戦略でしかないからな……
実施された期間を考えても100年もなかったよなあ。
大正天皇からだそうだが、そもそも契約社会の儀式を持ってこられても。
そしたら昔って夫婦の契りみたいなのはなんでやってたんだ?
そんなに面白くなかったけど
契りの仕方は、まず夜這いだな。部屋に忍びこんで服を剥ぎ取り…
はいいとして、披露宴みたいのはあって儀式として三三九度はやったが、
三三九度自体目出度い席なら披露宴にかかわらずやってたし、
神の前で結婚を誓うような風習は古来の日本にないて話。
ユダヤにおいては結婚は神が保障する男女の契約みたいな感じみたい。神との契約でもあるか。
それがどうやらキリスト教と共にヨーロッパで広まったよーだ。
うちの田舎では、戦前までは家で三日ほどかけてやっていましたね。
夫が妻方へ迎えに行き、連れ帰って飲めや(高砂や鶴亀を)謡えや。
夫が行く際、縄や梯子で近所の人間が妨害したのでこれを乗り越えた
という話も聞かれましたが、同様に「境界線」を越えさせる行為は近
代まで英国にも見られたそうです。多分、他地域にもあったでしょう。
墓石を新郎の家まで運んで来て、元通りにさせるというのもありました。
縁起が悪いと言われそうですが、死体は穢れても墓石なら良い様で。
結婚式も葬式も境界を越える行為には違いなく、結婚式で使用した白
い衣装を喪服として使用(戦前までは喪服に白を使用した例多し)し
た地域もありました。
喪服の白使用も地域ごとに異なり、喪主だけ或いは男だけが白裃をつ
けていたという話もあります。
もっとも、裃の着用自体、一定以上の社会的地位が必要でしたが。
(農地改革も行われた戦後では、この感覚が分かり難い)
我が国でも古代には白だったのを、平安期に鈍色に染める習慣が現れ、
南北朝期には禅僧が中国からまた白を使用する習慣が持ち帰ったため
に、貴族層でも混乱が生じました。
庶民層では、そもそもどこまで喪服が存在したかよく分かりませんが。
しかし、戦前までは白の使用も珍しく無かった様です。
西日本の沿岸部の、比較的財産の無い階層では特に儀礼らしきものを
行わないことも多く、朝になって隣家に見知らぬ女性がいるので訊い
てみたら「昨夜来たうちの嫁だ」と言われたという話もあります。
この場合、離婚も合わなければ簡単に行っており、30回以上の結婚
と離婚を行った人もいました。
○習慣を持ち帰った
余談:江戸期の江戸(とりあえず基準として挙げる)の正装
家も土地も借り物の場合→羽織の着用のみ許される
家のみ自前の場合→羽織・袴の着用を許される
家も土地も自前の場合→裃の着用を許される
戦前でも、裃のある家と無い家があったようですし、田畑持ちか否かとか、
家の「格」やそれに応じた振る舞いが求められたようです。
更に余談
正装時の紋→庶民なら三つ紋、武家なら五つ紋。今でも京都の古い商家では
武家と同じといって五つ紋を避け、強いて三つ紋を使う。
の性格の違いって感じかあ。
1937~38年頃から。
支那事変や通州事件などで、日本人の対支感情が悪化したので、
唐手から改称。
第一次大戦中に敵国ドイツっぽい名前という理由で、
ハノーバー(ゴルタ)朝からウィンザー朝に改称したイギリス王室みたいなものか。
素手で戦うから空手とかもっともらしい事言われて(そういう意味があるのも確かなんだろうが)
ずっと前からあったとか言われたけどそうでもないのね。
ようはクンフーなのか?
もちろん中国拳法(南拳)が伝わって出来た格闘術だが。
帝国期日本の大学関係者が武術として発展させたんじゃなかったっけ?
特に韓国系の人が設立に関わっていたような…
肉喰っててガタイが良かったので
大山倍達とか代表的
1946年秋の東京六大学野球リーグ戦から。
国体は1948年から。
その後、各種スポーツ競技へ。
柔道や剣道や弓道など武術へは、1952年の日本独立復帰以降。
サッカーの天皇杯は、1949~50年は東西対抗戦で、
現在の大会に天皇杯が送られるのは1951年から。
因みに戦前から有るのは「摂政宮杯」。
日本の武道を統括していた大日本武徳会がGHQに敵視されて解散させられ
学校で武道を教えることも禁じられたからだよ。また、戦後すぐの頃は大相撲の
人気も野球などに奪われ低迷していた。
281 :世界@名無史さん:2009/03/25(水) 16:00:30 0
戦後に普及。
戦前は個々の箱膳だった。
箱膳の頃は個々が食器を洗ってたが、
ちゃぶ台になって、妻が家族全員の食器を洗うことに。
もっとも、箱膳は場所をとるので邪魔と、妻がちゃぶ台の導入を推進したのだが。
「肘をついて食べると行儀が悪い」の根拠は、実はちゃぶ台にあった
日本の食卓は、一の膳、二の膳というように、小さな膳が使われていまし
た。それが何時のころか、ちゃぶ台が普及してきました。
ところが、このちゃぶ台は、意外と不安定だったそうです。脚がしっかりして
いませんので、うっかり手をつこうものなら、ひっくり返ってしまいます。
そのようなことから、「ちゃぶ台に肘をついて食べてはいけない」という習慣
が生まれたらしいですね。
http://trend.gyao.jp/trivia/entry-79202.html
ちゃぶ台って、中国の回転卓が起源だったんじゃない?
それが日本の中華料理屋→大陸へと伝わったんだとか
これは凄いな
2004年全通。
アデレード~ダーウィン間
84年のロス五輪から出場規定が変わって、これまでの「全日本」で出れなくなった。
(過去に五輪予選に参加してなければプロでも出れるようになったので「プロ解禁」と言ってる)
ので、作った造語。
80年代半ばでは全日本(Aチーム)>日本選抜(Bチーム)>日本代表(Cチーム)という感じ。
最初の「日本代表」は、タイに2-5で負けたので有名。
88年以降、日本代表→五輪代表、全日本→日本代表と伊予になった。
Aチームを日本代表と呼んだ最初の89年は、北朝鮮に負けてW杯アジア一次予選敗退。
ブラジルなどラテン語圏の「セレソン」は、英語の「セレクション」なので、
「選抜」と言うのが正確、とブラジル移民の親戚が言ってた。
戦前ではあくまでも国旗として扱われる旗であり、正式に「日章旗が国旗ね」と決めたのは1999年
1972(昭和47)年6月25日
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/rradio/1082730963/3
1942/3/19 NHK沖縄放送局開設
1945/3/ 空襲で沖縄放送局全壊
1949/5/19 琉球の声(AKAR)放送開始。
1953/2/1 琉球の声、出力3kwへ増強、NHK移行を目指す
しかし、ディフェンダーファー長官の命令により民放化。
--------------------------
1954/4/1 琉球の声、民放化するが、半月で頓挫
1954/6 ラジオ沖縄(現在とは別)が琉球の声施設で放送するも、
50日で契約破棄・倒産。
1954/9/20 琉球放送(RBC)が施設使用して放送することに決定。設立。
1954/10/1 RBC琉球放送開局
1957/12 KHR極東放送開局、英語・日本語・中国語放送開始
1960/7/1 ROKラジオ沖縄開局
1972/5/15 日本復帰、免許はすべて日本式に。KHR極東放送中国語停波
1972/6/25 NHK沖縄放送局、第1放送を復活させ第2放送開局
1974/ NHK-FM放送開局
1976 KHR極東放送英語局停波
1984/9/1 KHR極東放送日本語局、FM沖縄へ移行。
1997/3/1 コミュニティFM第1号FMちゃんぷら(現FMコザ)開局
昭和5(1930)年から呼称。
それまでは、インドアベースボール、
女性が外で行う場合は、カッチン(Kitten)ボールと呼んでた。
1932年ロス五輪にサッカーが無かったのと、
34年W杯の地元優勝を狙うイタリアが、南米選手をプロ契約で帰化させたのが、
プロ化移行の契機。
アメリカ以外のプロバスケ…1984年前後。
84年ロス五輪から全競技でプロ解禁したのが切っ掛け。
アメスポ団体は基本的に、五輪にはプロを出さなかったけど。
1802年:英クリケット
1853年:豪クリケット
1870年:米野球
1877年:スコットランド・サッカー、カナダ野球
1878年:英サッカー
1885年:米アメフト
1890年:アイルランド・サッカー
1895年:英豪ラグビー・リーグ、米ゴルフ
1898年:キューバ野球(~1961年)、西インド諸島クリケット
1907年:加アイホ
1908年:米アイホ
1919年:ベネズエラ野球
1923年:日本野球(芝浦協会…早大系VS天勝野球団…慶大系)
1924年:オーストリア・サッカー
1925年:メキシコ野球
1929年;スペイン・サッカー、メキシコ・サッカー
1930年:伊サッカー
1931年:スウェーデン・サッカー、アルゼンチン・サッカー、チェコ・アイホ
1932年:仏サッカー、ウルグアイ・サッカー
1936年:独サッカー
1937年:ブラジル・サッカー
1938年:ポルトガルサッカー
1942年:米バスケ
1959年:トルコ・サッカー、ベルギー・サッカー
1965年:豪サッカー
1966年:テニスプロ解禁、独バスケ
1975年:サウジ・サッカー、フィリッピン・バスケ
1979年:豪バスケ
1983年:丁抹サッカー、西バスケ
1984年:アルゼンチン・バスケ、ギリシャ・サッカー
1987年:英バスケ、仏バスケ
1990年:台湾野球、ブラジル・バスケ
1992年:旧ソ連&東欧サッカー&アイホ&バスケ、ギリシャ・バスケ、日本サッカー
1993年・ベネズエラ・バスケ
1994年:台湾バスケ、
1995年:ラグビープロ解禁、日本バスケ、加バスケ
2000年:メキシコ・バスケ
三内丸山遺跡(紀元前3500~2000年)や、
クフ王のピラミッド(紀元前2566年頃)の時には、
まだ堯、舜、禹は(伝説で紀元前2100年頃)居なかった。
中国の歴史って言ったら実際には60年くらいだよな、それ以前は中国じゃないし、
人種も違うのが多いし、それに完全に途絶えてしまうから。
中国が主張してんのは中国の歴史じゃなくて中国大陸の歴史であることをまず
知ってほしい。
まあ、マジレスするのも無粋ではあるが、クフ王のピラミッドはともかく、
日本における三内丸山遺跡などに相当する遺跡は、中国では紀元前5000年以上前に遡れる。
夏なんかは要するに伝説上の時代なので、日本と比べるなら皇紀1年あたりの出来事。
近いうちに発掘される悪寒
305 :世界@名無史さん:2009/06/26(金) 20:41:25 0
一般に有名になったのは、1982年発行の「積木くずし」から。
tVドラマは83年2月放送。
BeBapハイスクールは1683年夏開始
不良自身の自称だった記憶が
アメリカ映画「暴力教室」から。
昭和50年ごろまでの珍走は、革ジャンにジーンズとかの
「暴力教室」そのままのスタイル。
コスプレだったのか
w(゜o゜)w オオー!
ビーバップハイスクールって徳川綱吉の頃からあったのか…
凄い歴史があるんだね。
もしかして、
以前が今と違っているのを歴史って言うんじゃないだろうか?
韓国人も認める現代舞踊だが伝統舞踊だと勘違いする日本人が多い
そのせいか最近の寒流時代劇にも出てきた。ねーよw
しょせんはエンタータインメントなんだからあまり突っ込むべきではない。
大河ドラマだけは貶してもいい。
扇子そのものを舞踊にしてるのは昔からそこそこ有るんだろうけど
あぁいう扇の舞とかって実際は1990年代前半のジュリアナテクノから伝統舞踊系に逆輸入されたんじゃないの?
まぁこう言う事いうと伝統舞踊系の連中は怒るのかもしれないけどさ
つまりクラブ系の日本のダンスが古舞踊に入り込んだって気がするし
前近代なら唐(とう、から)、唐土(とうど、もろこし)、震旦(しんたん。支那
と語源は同じ)、大明や大清といった国号が多いですが。
支那というのも、明治以降に広まったようです。これまた中国の古典由来で、新井
白石などの知識人がすでに使っていたものですが。
震旦は、仏教説話集で僧侶が使っていますね。
唐○○というのが多いか。唐辛子や唐黍は単に舶来品程度の意味ですが。
だとすれば後半のstanこと~istanは~人の地って意味のイラン(後のテュルク)語系だから
中央アジア派生の言葉を漢訳したんじゃないかと思われる
>シナ地域に関することを日本で「中国~」と言うようになったのは
西暦1400年ごろ。
1392年に某が出現して儒教を国教した。
その時に現地の儒者(両班)が、三皇五帝から明までをひっくるめて、
>>318を出所にシナ地域を「中国」と名付け、それが日本にも入ってきた。
丁度、アニメの一休さんが足利義満とじゃれ合ってた時期で、つまり、
一休さんの世代が、子供の頃からシナ地域を中国と呼んだ最初の世代。
某の前の某は仏教が国教だったから、「中国」に相当するのはインド。
325 :世界@名無史さん:2009/07/29(水) 15:35:06 0
唐黍は中国から伝来したコーリャンを指す場合があるので、その場合は妥当でした。
>>325
10世紀の『延喜式』で近国・中国・遠国が定められました。
この場合は東側の諸国も中国になりますし、現在の中国地方に属していて中国であ
ったのは、備後・出雲まででしたが。
室町時代には西国の方面を限って中国と呼んでいますが、中国筋などの用語が定着
したのは、近世になってからではありませんか。
地理誌をあされば、いくらか出てきそうですが。
今のように、因幡・美作・備前~周防・長門までを一体の中国地方と見なすように
なるのは、近代からかもしれませんね。
室町時代の中国というのは、時に阿波などを含んだそうです。
独立完了が1982年ってホント?
本当…何だけど…
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/index.html
外務省のHPに「アイスランド共和国」「ドミニカ国」など、
「国」が付いていない場所がある。
カナダやインドなどは、英連邦内の行政独立地域で国では無い。
だから地域名だけで「国」がついて無い。
オーストラリアもそうだったが、最近
「オーストラリア連邦」となってるので、国として独立したのかも。
スペインやマレーシアやグルジアとかの場合は、
地域内に政府公認の半独立国な地域が有る為、
「国」と名乗ってない。
329 :世界@名無史さん:2009/08/01(土) 18:19:07 0
昔から甲信と信越という括りはあったはずだけど、甲信越の形で3つがまとまったのはそのくらいの時期からだったと思う。
なるほどTHX
田中角栄の日本列島改造論とか上越新幹線の件とかその地域の「環関東圏」とか言う言い回しとか
なんかその辺りから新潟をとにかく関東の近縁って地域にするような雰囲気が出始めた感じが有ったからさ
少なくとも1960年代頃まではまだそんな感触は無かったらしいって言われてたし
板違いになるのでこの話題はこれくらいで
甲信越に先立って「北信越」てのがあって、高校野球の地方大会の名称に使ってた。
北信越=長野、新潟、富山、石川、福井
甲信越=山梨、長野、新潟
332 :世界@名無史さん:2009/08/02(日) 16:25:58 0
薪の乏しい砂漠や草原や極地や高山では
誰かが金属器発明後まもなく考えつきそうだが・・・
ピカピカに磨いた大きな軽い鏡をつくるのは銅鏡なんかじゃ大変だからねえ。
最近のガキども(小学生)は平気で鏡にボールを投げつける、アクリルの鏡しか
知らなかったらしい。
334 :世界@名無史さん:2009/08/02(日) 18:32:11 0
異常に歴史が浅くて驚いた。
フィクション作品で多用され始めたのは、昭和24年ごろから。
GHQが検閲や武道禁止で戦前までのちゃんばらを禁止したので、
アクションシーンでは、かわりに棒(物干し竿など)を振り回してた。
が、ゼネスト等の混乱で、ある意味日本人にビビッたGHQが武闘的表現を一部規制緩和した。
1946年3月4日
放送法による現行のNHK
1950年6月1日
どっちも連合軍総司令部による占領中の時代。
設立 昭和25(1950)年
(大正15(1926)年、社団法人日本放送協会設立。
昭和25(1950)年、放送法に基づく日本放送協会設立)
となっているけど?
一人当たりGNPが世界最高なのはスイス
1986年、つまりプラザ合意翌年から。
1980年代前半の、
人口100万人以上の国で一人当たりGNP
23000ドル:アラブ首長国連合(120万人)
15000ドル:サウジアラビア(1000万人)
14000ドル:スイス(600万人)
13000ドル;アメリカ(28000万人)
11000ドル:ノルウェー(700万人)
9000ドル:日本(12000万人)、スウェーデン(1000万人)、フィンランド(400万人)
室町~戦国時代と某半島に関係したモノで…。
大人(おとな)
戦国時代前期(応仁の乱から鉄砲伝来の間)から。
「女子と小人は養い難し」で有名な論語では、小人と対極を成す存在は、
士大夫であって、大人ではない。
(士大夫から小人を掌る別格の存在を「天子」「君子」と言う)
儒教を国教とした某で、士大夫(今で言う両班)の下働きをする連中が、
「大夫に仕える人=大人」と自称した。
それを、仏教勢力と抗争していた日本の武士階層が、仏教に思想対抗する為に、
某から儒教(いわゆる朝鮮朱子学)を導入。
そんな武士(大夫)の下働きをしていた百姓に対して、
某からそのまま「(武士)大夫に仕える人=大人」を移入した。
「おとな」と言う呼び方は、
貴族や武士など冠位官職階層が幼名から元服で名前が変わるのを、
冠位官職階層の下働きをしていた百姓が真似して
それを「大人名=お・と・な」と呼んだのが起源。
<ヽ`∀´> <「大人」の起源は(ry
348 :世界@名無史さん:2009/10/07(水) 12:07:00 0
火熨斗…1904年
レースのリボン…1907年ごろから輸入
無鉛白粉…1910年
シマウマ水着…1911年
亀の子束子…1915年
糸瓜コロン…1923年
麻雀…1924年にブーム開始
アイシャギー…1932年
アルマイト弁当箱…1936年
化粧水…1937年
ハイヒール…1947年に輸入
家庭用ダイヤル電話機…1962年
それまではハンドルを回して電話局の電話手に番号と口頭で伝え、相手に繋がったら局から電話が鳴る仕組。
つけまつげ…1967年輸入
パンスト…1969年輸入
ジーンズ…1971年にブーム開始
ルーズソックス…1994年
ネイルアート…2001年
カメラ付ケータイ電話…2003年
着うた…2004年
女性が中心になってるものは、意外と最近から始まっている。
むしろ「意外と歴史の古いもの」リストだな
ためになるけどw
もちろん、戦前から生物の授業で教えてはいたが、
この単語が一般化したのは昭和50年代。
大正から昭和一桁生まれの世代が、
団塊を中心とした1940~50年代の子供世代よりも、
団塊Jrを中心とした1970年代生まれの孫世代の方が、
大正から昭和一桁生まれの世代である自分たちと思考や感覚と似ていると感じたことから、
「隔世遺伝」と言う単語が、よく口にのぼる様にようになった。
1953年にDNA二重らせん構造の発見から。
それ以前は「染色体」を対象としていた。
その染色体研究も、
20世紀に入って、19世紀中頃のメンデルの法則が再発見されてから。
だから>>351の「流行語そして一般知識としての隔世遺伝」の、
25年ほど前から始まったって事か。
学校で習った事象だが、一般人の口に昇るようになったのが、って意味だろう。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/cafe60/1230475775/18
>司馬遼いわく「母の細腕一つで一人前の大人に育ててもらい、大学にまで行かせて貰いながら
>ろくに学問もせずに遊びまわり、外国で親の金で売春婦を抱いた挙句、その支援金まで母親に
>出させようとする。しかし、このような若者を育ててしまったのは自分たちの世代である以上、
>この若者を責めるよりも、自分達の世代の反省要因とせざるを得ない」。
司馬遼あたりの世代の人たちが、子供の世代よりも寧ろ、
孫たちの世代(1970年代生まれ辺り)の方が、
自分たち世代と、感性や資質が似ていると感じていたらしい。
日本プロ野球では、既にONが三四番の打順だったが、その頃はまだ無かった。
NFCの前身たる旧NFL…1920年開始
NFCが「黄金の20年代」スタジアム集客中心、当時大統領だった共和党的
AFCが「宇宙の60年代」TV放送中心、当時大統領だった民主党的
そういう比較構造がある上、1964年に始まったスーパーボールは一発勝負なので、
ああもやたら盛り上がる。
元になったカードゲームみたいなのはもっと古くからあるんだけど、
今の麻雀の原形と言える形にしたのが陳魚門てオッサンだったと記憶しとる。後宮で遊ばれていたとか。
日本に紹介されたのは明治~大正にかけての頃。
この「日本に伝わったのが」という部分に関して、意外と歴史が浅いと感じるかどうかは個人の感覚ではあるまいかと思うが。
「世界史板」のような横書き漢字表記ユニフォーム。
1942(昭和17)年から。
この時は全部の出場校が「板史界世」にように右から左へ。
「世界史板」のように左から右へ書くのは、1955(昭和30)年ごろから。
1941(昭和16)年までは、台湾チームも満州チームも、
ほぼ全部アルファベット表記。
漢字表記は1938(昭和13)年から縦書きで、
東
邦
…というのは有った。
また、1935(昭和10)年アメリカ遠征時の東京ジャイアンツが、
背番号を漢字縦書きにしている。
意外だ!
昭和16年の選抜大会で確認できたところでは、
東邦商:>>359(現在はTOHO)
一宮中:左胸に校章(現在とほぼ一緒)
岐阜商:GIFISHO
滝川中:TAKIGAWA
下関商:S
海草中:KAISO
昭和16年夏の台湾大会(地区大会は開かれたが甲子園は中止)で、
嘉義農林と台北工が3日間40イニングと言う試合で話題となったが、
その時の嘉義農林のユニはKAGI
東京六大学は、帝大以外は今とほぼ一緒で、帝大も含めてアルファベット。
職業野球は昭和16年のシーズンから、全チームのユニが漢字表記。
KANOな。
野球挑戦から復帰したマイケル・ジョーダンが、
自チームでNBAシーズン最高勝数でチャンピオン&MVPになった、
1996年初夏から。
日本でバスケブームだった1992年夏~95年頃は、
70年代後半から大学以来のライバル同士としてバスケ人気を引っ張っていた、
マジック・ジョンソンとラリー・バードの引退とかで、
アメリカのNBA人気は下がっていた。
いわゆるSEXを前面に出したアニメは「くりぃむれもん(1984)」がはじめて。
当時賛否両論のすっさまじい衝撃があった。
それまでは「けっこう仮面」みたいにお色気を前面に出したものはあっても、
SEX描写は全くなかった。
「くりぃむれもん」が発表されてから、
日本の美少女アニメが世界を席巻するのに15年かかってない。
というか、個人的な印象としては「美少女アニメ」→「ジャパニメーション」であって、逆ではないと思う。
そう思えば「くりぃむれもん」は日本のアニメを世界商品にしたきっかけとして功績大。
wikiによると、
雪の紅化粧という劇画調アニメが半年早い。
それから20年後というのは歴史が浅くもなんともないと思うが。
日本でアニメが娯楽文化(それも子供の)として根付いたのは、
昭和18(1943)年の「桃太郎の海鷲」で、この年の興行収入2位。
だから40年以上掛かってる。
日本でアニメが娯楽として「根付いた」のは昭38のTVアニメ「鉄腕アトム」か、昭18年の映画「桃太郎の海鷲」か。
wiki「アニメーション映画」とかを見ればアトム以前に何本のアニメ映画が公開されたかが解る。
明確に結論が出せない事柄は、読んだ人各自の判断に任せるのが一番いいだろう。
TV・劇場ともアメリカ製のアニメが入ってきてるので。
まぁ、娯楽として根付いていなければ、
鉄腕アトムのアニメがあんな無茶な状況(低予算・短時間・少人数)で
製作されるなんて事はなかったろうね、あまりに冒険過ぎて。
テレビアニメとして根付かせたのは鉄腕アトムだけど。
それだけだと何なので。
ソメイヨシノ
桜の代表格であるソメイヨシノだが、誕生は幕末~明治初期と言われている。
エドヒガンなど野生種の桜は千年の長寿を誇るが、
人工的なソメイヨシノは20年ほどで枯れる事もある。
また種子が無く、接ぎ木で増やすしか方法がない。
365 :世界@名無史さん:2010/05/27(木) 10:39:40 0
5世紀前半に成立した。
意外と最近。
ヒンドゥー教が成立したのはグプタ朝の域内で、
道教が成立したのは北魏の域内、
どちらも仏教が国教的な扱いだった。
昭和20年代後半から。
戦前の新聞雑誌は、ほぼ全ての感じに平仮名のルビを振っていた。
しかし、
「っ、ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ、ゃ、ゅ、ょ」などの小さい文字は、
技術の問題で大量印刷物では表記できず、
「にほん(日本)」「とうきやう(東京)」「やきう(野球)」「じうどう(柔道)」
と言うように表記していた。
↓は、「野球」を、昭和20年代前半までの「やきう」と表記しているレスが満載のスレ。
ttp://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/npb/1275329094/l50
ttp://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1275270710/l50
教科書はともかく、一般印刷物は濁音の「"」なども表記してないから、
「しうとう(柔道)」「けんとう(剣道)」「なこや(名古屋)」「イキリー(英国)」「にんほう(忍法)」
とか表記。
野球が「やきう」なら、サッカーは「しうきう(蹴球)」。
法律で制定されたのは、昭和26年
375 :世界@名無史さん:2010/07/08(木) 05:25:22 0
というわけで今のアメリカの国旗
縞の数は建国当初から今に至るまで、赤7本、白6本、計13本、変わらず
>当初は星の数とともに縞の本数も増やされていたが、
>本数が多くなるにしたがって不恰好で見づらくなったため、
>発足時の13本に戻したという経緯がある。
お前は物知りなのか知ったかぶりなのかどっち?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e8/US_flag_15_stars.svg/380px-US_flag_15_stars.svg.png
平安京は1200年以上前にできたけど
アボリジニの先祖のオーストラリア入りよりはるかに後、今から4000年前くらいにやってきたそうだ
それは意外に古い